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2006年5月 6日 (土)

トップの責任が問われない組織

今日は朝一で、高校の後輩杉本浩司氏が社長を務める、エスエストラストで打ち合わせでした。

060506

連休中、元参議院議員でセクハラ事件で辞職した筆坂秀世氏の著書「日本共産党」(新潮新書)を読んだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101645/qid=1146900929/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/503-7294501-3348707

いわゆる告発本のたぐいであろうと読んでみたのですが、これがなかなか面白い。

告発本というより、組織論の観点から日本共産党という組織をみてみると、企業組織にもあてはまるものがあり、一気に読んでしまった。

序章から終章まで、7章で構成されており、第3章の共産党執行部の批判と第4章で不破元議長の批判については、告発本という感があるが、その他の章については組織論の本と思えばかなり企業経営に参考になるのではと思う。

実は、同じ新潮新書の国家の品格を読んでいたのであるが、この著書の後回しにしてしまった。それが結果として、この「日本共産党」という著書を通じて共産主義について分かった気がする。

国家の品格の中で、著書である藤原正彦氏が話していた資本主義に対する問題提起とリンクしてくる。要旨は以下の通りである。

カルヴァンは、教会の権威を否定しようとするあまり、予定説の立場で、人間はどんなに教会に寄進しようと、善行を重ねても救われない。救われる人間とそうでない人間は決まっており、それらの行為とは無関係であると理論を展開してしまった。

そうなると人間は自分は救われるのかどうなのか不安になり、次のような考え方に至ったとある。

『神のつくった秩序ある社会をうまく機能させることは、神の栄光を増すことであるから、神から義務として与えている職業に励むことによって救いの確証を得るのだ。

利益のチャンスがあったら、それは神が意図して与えたものであるから、積極的にチャンスを生かさなければならない。とし、金儲けも倫理的栄光が与えられるようになった。

そして、皆が一生懸命利益を追求しても、アダムスミスが唱えた「個人は利己的に利潤を追求すると、神の見えざる手に導かれて社会の繁栄が達成される」という考え方につながった。』

共産主義にとって、この「神の見えざる手」は、「政府の手」になるわけであり、政府が絶対的な権威と権力がないと、個々人の利益追求を調整することが出来ない。

であるから、政府に反対する勢力は悪とし、社会から排除するシステムが必要になり、共産主義の世界には自由は極めて限定されることとなったと私は理解しました。

また、利潤という人間の欲望をコントロールする為には、指導者の権威付けを行い、一般国民は指導者の指導が正確に理解できていないから、上の階級のものが下の階級のものに指導を行うという考え方になり、その為に階級社会につながっていった。

なるほど、共産主義において個人の自由を認めると、利潤の追求のコントロールが出来なくなり、市場経済になってしまう。

だから、禁欲的で自由を制限しなければならず、党員を高い規律でコントロールしていかなければならないのだ。

また、指導者の権威を保つ為に、選挙でどんなに負けても、主張は正しいが、それを国民が分からなかった等々の理由付けをしていかなければならず、自民党や民主党であるならば、総裁や代表が辞任に追い込まれるような大敗を選挙で喫しても、共産党の指導部は責任を問われない体質になっていった。

「責任を問われない体質=無責任な体質」であり、また、共産党である以上、ソ連崩壊後も共産主義を目指す政党でなければならず、結果として、指導部の責任転嫁が行われ、党勢衰退を「国民が共産党の素晴らしい主張を分からないという理屈」→「共産党の教えをもっと広めて、一般大衆に理解をさせ、指導していかなければならない」→「党員は、党員の拡大を図り赤旗の部数を増大させろ」という理屈になった。

ここで責任が問われているのは、党員が頑張らなかったからだということと、我々共産党員ではない一般大衆が共産党の政策が理解できなかったということで、我々にも責任が転嫁されているのである。

指導部の責任が問われないのである。

私は、この共産党の問題は非現実的な目標を掲げているということにつきると思う。

理由は、日本において共産主義革命が起こることはないであろう。

それを目標としている共産党に無理があり、それ故に指導部の責任が問われないですむわけである。(しかし、共産党が共産主義を目指さなくなったら、共産党ではなくなってしまうのでやむを得ないが・・・。)

目標とは、実現可能なものの積み重ねであり、結果を積み重ねて理想に近づいていくということになる。

一般企業にいても、実現できない目標を掲げる経営者がいる。

このような経営者は、やはり営業マンや開発部隊の責任にしてしまう。

オーナー企業において、責任が経営者に問われるのは倒産の時であり、倒産に至らない状態では、企業ガバナンスもセルフチェック的要素が多い。

是非この著書を読んで頂き、指導部の責任が問われない共産党的体質の怖さを考えて頂きたいと思います。

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