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2006年11月 3日 (金)

文化の日に思うこと

もみぽんへ行ってきました。

酸素を満喫する機械が入ってました。

我が母校を西東京大会準決勝で破った早稲田実業の斉藤投手も御用達とか。

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↑チャックで入って酸素を満喫します。

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↑ちなみにこんな値段

是非試して下さい。

私はやらないと思いますが・・・。

今日は文化の日。

仕事をして、文化らしいことをしてませんが、さっき電話で話した弁護士のk先生曰く「法律は文化だ!!」

なるほど、ものは考えようで!!

そして、調子に乗って税理士のs先生へ

私 「先生、やっぱり会計は文化ですよね~??」

s先生 「それよりやまもっちゃん、月次決算の資料早く出して」

私 「・・・、はい月曜日には。。。」

ネタじゃなくて事実です・・・。

文化の日は、憲法が公布された日。

そして今年で60回目の年です。

憲法を考えるにあたって、憲法の本質とは何かを考えてもらいたい。

この辺は、「日本人のための憲法原論」小室直樹著 集英社インターナショナルを是非お読み頂きたい。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31683472

憲法の議論になるとどうしても9条が全面に出てきてしまう。

先日法学部の学部生と議論をする機会がありました。

その学部生は「憲法9条」は守るべきであると考えており、我が国の憲法で最も大事な部分であると話していた。

しかし我々日本国人は憲法9条を変えることが出来るし、変えた結果不都合が生じればまた同じ条文に戻すことも出来る。

憲法を理解する上で私が最も大切であると考えるのは、人権に関する規定であり、表現の自由があって民主的立法機能が担保されると考えるのです。

集団に於いて意志決定をする際に、自由に議論をして結論を出す。

その結論は、当該集団に属する構成員は拘束される。

その決定に反対した構成員が納得するためには、意志決定の過程が明かであり、その過程の中で自らの主張を行い議論が出来たのか、一部の構成員の独断ではないとの確信が必要であり、それは国家に於いても同様である。

自由に議論が出来るという権利は永遠に守っていかないと、支配者の独裁を許す事になる。

小泉前総理は独裁者といわれているが、私はルールに則っているし、郵政民営化の政権公約を掲げた自由民主党の公認候補として当選してきた代議士が、その法案に反対したわけであるから、公認しないということはむしろ当然である。

前総理は、自由民主党のルールを破っただけであり、そのルールが国民にわかににくかったルールであり、ルールを破ることが改革とみなされただけであろう。

総理は、総裁でもある訳で自由民主党の議員が本当に嫌なのであれば、総裁の座から降ろすことも出来たわけである。

自由に議論が出来るということは、「議論のやり方」が上手い人と下手な人では勝負がついてしまうわけであり、小泉前総理はそれが上手かっただけである。

成熟した民主主義とは、この議論を公で行い意志決定することであり、それにより国民は政策の本質を理解することが出来る。

私は憲法9条により平和を享受しているとは全く思わないが、自由に議論を出来る幸せという権利は永遠に失いたくない。

護憲派と改憲派というが、憲法9条のみで判断してはいけない。

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